カテゴリー別アーカイブ: 今井朝路

今井朝路【その3】―川西英と今井朝路

日本画を修め、神戸で個展をしていた今井朝路が、洋画に転向するきっかけをつくったのは版画家の川西英でした。今井の日本画の個展を訪れた川西は、象徴的な主題を伝統的な日本画の技法で描いた作品に違和感を覚え、今井に洋画をすすめました。今井も、川西英の油彩画の展覧会に触発されるところがあり、ついに洋画を描くようになります。

こうしたことを通じて今井と川西は親しくなり、互いに行き来し、葉書をやりとりするようになりました。今井は、戦禍によりすべてを失いましたが、川西は今井からの便りを扉と表紙をつけた帖面に順に貼り付け、大切に保管していました(写真)。川西英は、竹久夢二とも交流があり、やはりその作品を大切に保管し、また作品が掲載された印刷物を貼り付けた手製の帖面を作っていました。なんと几帳面な美術家でしょう。

 

     

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今井朝路の自家特製パイ

今井朝路の数少ない資料に直筆の原稿類があります。美術に関する思索を深めようとするもの、音楽について学んだもの、エッセイ等々。

今井朝路《自画像》

その中に、面白いものを見つけました。「自家特製パイ」の作り方を書いた2枚の原稿用紙です。この原稿用紙には「兵庫県食糧営団」という文字が印刷されており、時代背景がうかがえます。

今井は戦前、元町通に「青い錨(ランクル・ブルウ)」というカフェ・バーをオープンさせていますので、“食”にも関心があったのかもしれません。

とても簡潔に書かれたレシピですが、お菓子作りにご興味のある方はどうぞお試し下さい。

 

《今井朝路メモより「自家特製パイ」》

※(  )内は補足

フライパン使用(!!)

バター又はマンガリン(マーガリン)大さじ二杯

メリケン粉 適量

塩少量

水 大サジ三杯

二分(にぶ:約6㎜)の厚さにのばし 柏にする(柏餅のようなイラストあり)

玉子で色づけ

 

中味

リンゴ 4⇔5

サトウ コップ半杯

そのほか甘味料少量

桂皮 小サジ一杯

バター 姿のままきざみ振りかける

 

中味

ポテト オサツ 適量  塩 少量 裏ごしにする

サトウ コップ半杯

乳 コップ半杯 時に応じ二杯を可とする

玉子 1個

アップルパイとポテトパイ、あなたならどちらを作りますか?私は、断然ポテトパイが好みです。どなたか作られましたらご感想をお教えください! 【D】

生誕115年記念 今井朝路展 【その2】

中央の人物:今井善兵衛

今井朝路とその周辺

今井朝路(いまい・あさじ)は、明治29年(1896)2月7日に神戸に生まれました。父、今井善兵衛は多可郡(現・西脇市)黒田庄町の出身で今井家の養子となり、明治6年に神戸市元町通5丁目で「今井善兵衛計量器店」を創業しました。横浜の度量衡商に並ぶ、神戸の古いハカリ屋さんであったといいます(神戸新聞「わが家のアルバム百年史」昭和50年4月6日記事より)。

善兵衛は、明治40年(1907)、朝路11歳の時に67歳で亡くなり、朝路の兄が父の仕事を継ぎました。

さて、父没後、朝路は私立神戸育英義塾に在籍していたようですが中退。* 16歳の年に、尾竹越堂、竹坡、国観三兄弟に日本画を学び始めます。

尾竹兄弟は、大衆の心に訴えかけるような生き生きとした人物表現で当時大変人気のあった画家たちでした。長男の越堂の長女には、『青鞜』での活動がよく知られる、“新しい女” 尾竹紅吉(おたけ・べによし)(1893-1966・のちの富本憲吉夫人・富本一枝)がいました。

彼女は、女子美術学校及び父達からも日本画を学び、当時、「天才少女画家出現」と新聞に載ったことがあるほどの才能を持っていました。

のちに今井は、大正7年(1918)に「第6回抒情画展(個展)」を開催しますが、その目録には富本一枝が詩を寄せており、二人に交流があったことがうかがえます。(続く)  【D】

*『神戸史談』「今井朝路と川西英」大塚銀治郎 文中・石阪孝二郎氏の記憶による

生誕115年記念 今井朝路展

今井朝路(いまいあさじ)

平成24120日(金)から始まる今井朝路の生誕115年を記念した展覧会に先立ち、今井朝路について少しご紹介いたしましょう。・・今井朝路については明らかでないことが山のようにあります。戦禍のためにきちんとした資料が残っていないことと、いろいろな人がいろいろなことをエッセイで書いているものの、それらの情報がまちまちで正しい記述ではないため、本当はいったい???という疑問がなかなか消えません。

まず、最初に、今井朝路は何者なのか??・・・初め日本画を修得し、その後川西英のすすめにより油彩画に転向。個展を開催していましたから、“画家”と言ってよいでしょう。

しかし!絵を描くだけでは飽き足らず、詩をつくり、仲間達と集まって詩の会を開催し(ここにはまだ中学生でありましたが、後に詩人となる竹中郁も参加していました。また、同じクラスであった小磯良平も今井朝路の所に遊びに行っています。)。。。となると、今井朝路は画家で詩人となりましょうか。

さらに!演劇にも興味を示して「パルナス座」を結成し、劇の上演も行いました。。。では画家で詩人で俳優でちょっと演出家??

当時、新しい演劇が盛んでしたが、今井朝路は、これについて「興行的、営利的になつて低級」であり、「劇の精神的要素や芸術的妙味」がそこなわれてしまっていると言い、衣裳や舞台装置が簡素であっても、心に訴えかけるような芝居をするために、「パルナス座」を結成したようです。実際の劇の様子を伝えるものは未発見ですが、今井が、敬愛する友人である川西英に送った葉書の中に、劇中の今井の衣裳を伝えるイラストが確認されます。

展覧会では今井の戦後の制作とあわせて、資料を展示します(続く)         【D】